「マスクをしない人」は脅威認定される社会

「そもそも暴行や妨害はしていない。その前提として、マスクをめぐる同調圧力や排除の感情があったのではないか」

ピーチ・アビエーション機内でマスク着用を拒否して客室乗務員とトラブルになり、新潟航空に緊急着陸させたなどの疑いで威力業務妨害や傷害などの罪に問われた元大学職員のマスパセ氏。

「機内の安全性を阻害する行為があった」として懲役2年、執行猶予4年(求刑懲役4年)の判決が12/14大阪地裁で言い渡されました。

 

傷害罪については被告証言の一部の信用性を否定し、認定落ちの暴行罪になっています。「客室乗務員の腕に力を加えた」などの表現でいろいろ言われてきましたが、実際具体的にどのような行為がなされたのかはっきりしていません。

この表現からだけすると私は、検察の「傷害罪」の認定は「とりあえず最初は高めにふっかけておけ」という意図をなんとなく感じてしまいます。

いろいろとすっきりしないこの判決。争点は暴行の有無や緊急着陸の必要性などですが、マスコミなどを通じてそれ以上に「ノーマスクの是非」の指針のようになってしまいました。結局最終的に感じることは司法(政権)やマスコミが一緒になって「社会の流れに逆らって自分を押し通したやつはこうなるのだ」という見せしめを示したということです。

 

最近は厚労省が、距離があり会話が少ない場面では過剰な対策は緩和する方向の指針を示したこともあり、マスクについての圧力はニュース上では少し和らいだようにも見えますが、実際街を歩いてみたりお店に入ってみれば、ほぼ全員マスクを着用されており、全くといっていいほど変化を感じません。

 

このマスク着用の効果、表向きいろいろ言っていますが、結局のところ「コロナをめぐる社会政策を認めており、それに協力する」という意思表示と見るのが一番大きいのです。

少なくとも社会生活に参画する能力がある方で、うすいペラペラの布でウィルスを本気で排除できると思っている人は実は本当はいないと私は思います。

にもかかわらず、いつまでも日本だけこの圧力が変わらない。

 

私は基本的にノーマスクで生活しており、交通機関でも着用していません。すでに私自身が「ノーマスクである」ということを忘れています(笑)。でも一度も所謂「マスク警察」に遭遇したことがありません。時々視線を感じることはありますが所詮その程度です。

しかし同じノーマスクの主人は隣に座った女性がそそくさと別の席に移動したり、道で大きく避けられたりすることがあるといいます。

これからわかることは、もはや人はマスクをしているかしていないかではなく「その人が社会的脅威か否か」を判断しているということです。小柄な女性の私は脅威認定されないけれど、男性である主人は勝手に脅威と見做されるということでしょうか(ちょっとかわいそう 笑)

 

今の日本ではマスクはすでに感染防止効果のためのツールではなく、コロナ禍が続いていることを認める署名のようなもので、着用しない人は「コロナを生命を脅かすものとして認めていない。社会のルールを拒否する」人と見られるというのが暗黙の了解になっているのでしょう。管理する側からしてみればそういう異分子は排除していくという方向性がなじみやすいだろうと私は思います。

そして自分が我慢(もしくは同調)するのなら他人が違うことができるのは許せない、と感じやすい日本人の国民性がそれを後押しするのです。

 

政府が本気で取り組めば、マスクを外させることなど造作もないはずです。

だってテレビでただ「マスクを外そう」と打ち出せばいいのですから。

にもかかわらずいつまでもマスクをするということは、マスク=コロナキャンペーンが続くことでメリットを享受する人たちがいるということにほかなりません。ですからこのマスク、全面的に外していいですよ、ということには相当長い間ならないと感じています。外していい、というその時はすでに何か引き返せないほど大きな社会体制の変革があった後、ということになるのではないでしょうか。

アメリカが日本を余剰のワクチンや諸外国から拒否された太陽光パネルの在庫処分のための最終処分場にしているなか、中国が台湾を狙って次は日本と見做されている現状で、当の日本政府は外圧に唯々諾々と従うだけで国民の主権を守ろうともしていません。

つまりこれはもはや「マスク一つするかどうかのクダラナイこだわり」ではなく、だまし討ちのようではありますが最終的には、国民をないがしろにするこんな政府をそれでも肯定するかどうかの巧妙な踏み絵なのです。

ちゃんと考えずに流れに合わせていると、気がついたらとんでもないことになっていた、ということになりますよ。

 

ちなみにマスパセ氏の前回の論告求刑まで証言台の周囲三方を取り囲むように高さ2メートルのアクリル板を「飛沫防止」のために設置していたということですが、判決当日はこのアクリル板が撤去されていたそうです。

判決の裏で氏が自発的に排除を求めていたそうですが、「終わった後」ならもはや威圧は必要ないから、というように感じられてなりません。