コロナ離婚に思うこと

今日は婚活を離れて、成婚したあとの結婚生活を考える上でも重要な問題についてお話します。

コロナ禍も早いものでもう3年目になろうとしています。私たちの生活はこのコロナ禍によって大きな変化を求められました。

テレワークも広まり、いままでなかった家族が一日中一緒にいる生活、毎日毎日3度の食事を作る生活。急な環境の変化の中で誰もが多少の差はあれ大きなストレスにさらされてきました。

でも一番正面切って私たちに踏み絵としてどちらにつくのかを求められたのは、コロナ対策についての方向性や温度感だったのではないでしょうか。これにより価値観の対立から「コロナ離婚」という社会問題が生まれてしまいました。

 

誰でももともと衛生観念は異なっているものですが、それがこのコロナ禍でひとりひとりに「お前はどうなんだ」という選択を突きつけられることになったと思うんですね。

ワクチンについての考え方、自粛についての考え方。

普段の生活であれば顕在化しなかったこういう根本的なものの見方、ひいては死生観のようなものまでを明らかにすることを求められて、今まで直面しなくて済んでいた価値観の違いが否応なく浮き彫りにされてしまったことが家族観での対立構造という悲劇を生んでしまったと言えるでしょう。

もちろん、離婚に至る原因はそれまで積み重なったものがあり、最後の一押しがこの価値観の違いだったケースが多いことでしょう。決してこれだけで家族であることをやめたいと多くの人が思ったわけではないと思っています。

ただ、これほどまでに「価値観」というものが、家族としての強度を左右するものであることを改めて考え直すきっかけになったことを忘れてはいけないと思います。

 

「お互いの価値観を認める」というのはつまるところ「どこまで自分の価値観を譲れるか」ということです。友人関係ならいざ知らず、生活を共にする家族としてこの「価値観の違い」に向き合うということは、きれいごとでなく自分を譲るということに直結します。幸いにも現時点で価値観の差異がなく暮らしていける人は幸いです。しかしコロナに次いで今、ウクライナをめぐる情勢もまた新たな分断を生んでいます。世界の状況は恐ろしいほどの速さで次々に私たちの暮らしを揺るがし、誰もがいつどんな観点から新しい価値観の差を突き付けられてもおかしくないのです。

 

これから生涯のパートナーを探そうという方に言いたいのは、究極的な問題に直面したとき「多少目をつぶっても物事を荒立てたくない」のか「納得的できないことは譲れない」のか、自分がどちらの答えを出す人間かということを自覚しておいたほうがいいということです。誰でも個性として主張の強さや重さには違いあります。これは言ってみればもう体力や瞬発力のようなものです。「主張を曲げない」ことや「譲れなさ」がいいとか悪いとかそういうことではなく、うまくいく相性というものを考えるとき、自分はどういう選択をする人間か、では相手はどういうタイプがいいのか、それを避けずにしっかり考えておくことがこれからの時代を一緒に生抜くパートナー探しには必要なのではないでしょうか。